Milk & Water

水で割った牛乳、転じて、毒でもないが薬にもならないもの(またそういう人生)

父の影が消えた日々|雨と雷の連日

ここ二週間ほど連日雨と雷が続き、ついに今朝にかけて初雪が降った。北陸では、雷が雪を連れてくる。初雪の前は決まって数日にわたり雷が鳴り響く。毎年そうなのに、毎年そうだった、と思う。

ここ最近のわたしはといえば、天気が悪いせいで引きこもりに拍車がかかっている。デイケアにも半月ほど顔を出さず(本当によくないけれど電話をする気力もなくて無断で休み続けている)、かといって家にいると自分とふたりすぎて、本当は自分の孤独くらい自分で処理したいのに誰かに電話を繋いでもらったり、過食嘔吐で誤魔化したり、最近のわたしは本当によくない。しかも一日で4回も電話をする日もあって、もうわけがわからない。わけがわからないんですよ。

わたしが本来なりたい姿って、自分で選んだ孤独を自分で守れるってことなんじゃないですかね。現状わたしは孤独を選びとるどころか毎日ひとりで頭がおかしくなってますが。それこそ小学三年生までのわたしは、無自覚だけれど今のわたしがなりたいわたしだった。自分で孤独を選び、自立(というより独立か)して、孤独を守っていた。やや発育やら発達やらの遅れていたわたしは、小学三年生まで「友達を作る」ということの意味がわからなかった。もはや「友達」という観念を知っていたかすら怪しい。同時に、「友達がいない」と「教師や周りの大人が心配して目をかけてくる」ということにも無頓着だった。本当に、心底、無敵の子供だったのだ。当時のわたしの昼休みの過ごし方といえば、カタカナのロの字型の校舎(母校は3階建てに真四角の校舎が連なっており、2階部分だけ「夢の架け橋」という渡り廊下があった)の廊下をエンドレスに散歩したり、図書室で端に追いやられた表紙の冷えた海外文学を片っ端から読んだりとどれもひとりで完結する遊び方ばかり。いつからこんなに孤独に耐えられなくなったんだろう。小学三年生まで、と書いたが、小学四年生から友達を作るようになったのは、決して寂しくなったからだとか、孤独に耐えかねたからではない。ひとりで孤立している子供と思われると面倒だという考えに至る程度には、発育が追いついたからだった。幸いわたしは人前で自分を取り繕うのが得意なタイプで、去年まで孤立していたとは思えないくらい上手く友人を作った。だから少なくともその頃はまだ孤独が好きだった。

ではいつかと言われると、高校2年の春に父を亡くして自分の人生が瓦解するのを感じた瞬間か、大学に進学して一人暮らしを始め家に自分しかいない状態がさみしいと思った瞬間か、どちらかな気がする。大きなターニングポイントとしては前者だが、前者のときは孤独を恐れるほどの精神的余裕もなく、だとしたら後者のような気もするが後者で孤独が怖くなった要因としては間違いなく前者も絡むので、だとしたら前者か。わたしの人生は、父の生前と亡き後でまるっきり変わった。

こんなふうに書くとわたしが父のことを愛していたようだが(というか表面上はそうなのだが)、本当は違う、のだと思う。わたしは「父」という我が家で圧倒的な地位に立つ人間を愛していると自分を騙し、この人が言う通りにしていたら人生すべてが大丈夫なんだ、と自己暗示に欠けていたのだ。それを自分で認められたのはここ5年ほどの話である。ちなみにこの「自分よりうんとしっかりしている広義の大人」である他者に従ってしまう性質は今でも抜けていない。でもそんなことはいまさら亡き父のせいにしてもしょうがないのだ。

つまりわたしが孤独と向き合えなくなったのは、父という隣人が消えたからなのではないかとこれを打ちながらはじめて思い当たった。わたしの精神性は父の隣で育まれてきていた。自分の生きる指針がなくなって、自分の人生が自分ひとりきりのものになって、怖いのだ。父が亡くなって今年で10年になる。つまりわたしはまだ10年しか自分の人生を歩んでおらず、しかもそのうちのほとんどが父の亡き後に発症した精神病により沈んだ日々なのだ。そりゃあ怖いよねえ、と自分に同情するし、でもそんなことも言ってられない年齢よね、とも思う。どうしたらいいんだろうと思いながら地軸を無くしたわたしの地球は回り続ける。